共有iPadを超える1人1台iPad環境導入のメリット
和歌山大学教育学部附属中学校で、校務や授業でiPadを活用できないかというアイデアが生まれたのは2012年頃のこと。きっかけは校務用のWindows PCの不調からMacBook Proに切り替えた際に、同じくApple製のiPhoneやiPad miniとの親和性が高かったためだという。
当初は矢野教諭と数人の教員が中心となり、授業で教える際のiPad活用が検討された。操作に慣れた2015年には生徒向けの共有iPadを導入、2018年には個人所有による「1人1台iPad環境」体制実現のために動き出した。
「2019年度入学生からスタートした1人1台iPad環境は、1年を終えようとしていた3月に新型コロナウイルスの影響でオンライン授業となりました。最初は慣れない学習スタイルで教師も生徒も大変でしたが、楽しみながら学習を続けることができました。2020年度が始まり、教員の入れ替わりもありましたが、2ヶ月間オンライン授業を続けました。和歌山県では6月から登校が再開され、ようやく普段の状態に戻りつつあります」と矢野教諭はこの1年を振り返る。
共有iPad時代と比較して、1人1台iPad環境のメリットは何だろうか。矢野教諭は生徒と教師それぞれのメリットを挙げる。
まず、生徒については共有iPadのように授業ごとに「ロイロノート」からログアウトして返却する必要がなくなり、学習の継続性が維持される効果が大きい。また、同校では自宅への端末持ち帰りを前提とした運用のため、自宅での学び直しが可能となり「自分のiPad」という意識が芽生えたという。
また、iPadの保管や充電は各家庭にお願いしていることで、教師および学校側は、iPadの設定や保管、充電など管理の手間が削減される点がメリットだという。また、1人1台iPad環境になってMDM(モバイルデバイス管理)も利用しているため、学校独自にすべてのiPadに対してリモートで設定変更などが行なえる。
「共有iPadの頃は、108台のiPadに対して『Apple Configurator 2』という純正ツールで設定していましたが、これはとても大変でした。今はMDMがあるので、Wi-Fiさえあれば簡単に設定変更ができてしまいます」と矢野教諭は語る。
iPad活用に必要不可欠な補償サービス
2021年度から、同校は個人所有でiPadを購入した学年と、GIGAスクール構想によって配備されたiPadを利用する学年とが混在することになっている。保護者からみれば、家計負担の不公平感が生まれかねないが、GIGAスクールで配備されたiPadはキーボード付きではあるものの、個人所有のiPadに比べてストレージが32GBしか選べない(個人所有は128GBを推奨)。このデメリットを正直に説明し、学年ごとの負担の違いの妥当性を理解してもらい、今のところ大きな問題にはなっていないという。
ただし、個人所有端末とGIGAスクール端末のいずれにかかわらず、iPadの3年補償サービスの家庭負担には協力してもらっているそうだ。GIGAスクール端末を利用する学年の保護者に対しては、3年補償サービスの1万6000円(税抜)のほか、MDM管理費用、ロイロノート使用料金を負担してもらう形だ。
実際、学校現場での落下による画面割れなどはよく耳にする話だろう。矢野教諭は「これまでの2年間で37台のiPadが壊れており、本人は大事にしているつもりでも1人で3回壊してしまった生徒や、母親に洗濯機でiPadを洗われてしまったケースもあります」と明かす。
こうしたケースは同校特有の事情もあるだろうが、今後GIGA端末の入れ替え時には家庭負担によるBYODも議論され始めており、同様の課題を抱える学校は増えていくに違いない。端末の費用だけでなく、家庭負担によるデバイス補償サービスの有無は、iPad活用の成果を左右するポイントであり、検討する価値のある項目だと矢野教諭は語る。
iPadで「学び」の意識はどう変わったか
矢野教諭の指導する理科の授業や総合的学習の時間では、共有iPad時代からの実績から「ロイロノート・スクール」や「Google Workspace for Education(旧称G Suite)」を用いて、生徒と教師との間での課題作成・資料配布・協働学習・採点や成績管理などを実施している。
特にユニークな取り組みと感じたのは、iPadのAR(拡張現実)機能を活用した独自の3D教材だ。例えば、高気圧と低気圧の特性を暗記だけでなく視覚的に理解するために、矢野教諭はiPadアプリ「Reality Composer」を用いて雲や前線などの3Dオブジェクトを作成し、生徒自身にも作らせている。作成した積乱雲などのオブジェクトは、iPadカメラが映し出す現実の風景の中に表示され、気流の動きや回転方向などが直感的に把握できる。
最初は矢野教諭が作って生徒に体験させるだけだったが、やはり生徒が自分たちで作ったほうが楽しさが増し理解も深まるそうだ。1人で作るのは難しいと感じる生徒もいるが、隣の席の子とペアを組んでもらったり、YouTubeにアップしたお手本動画やサンプルパーツを使って、生徒同士で協力しながら作っているのだという。
現実世界とバーチャル空間をつなぎ合わせることで、生徒たちは楽しみながら学べるだけでなく、じっくりと作り上げる過程で表現の幅が広がっていく効果が見られると、矢野教諭はReality Composerを使うメリットを語る。
「SDGsに関する学習の中で、あるグループがエコバッグを作成しようとしていたのですが、平面の絵で描いただけでは納得できなかった1人の女の子がReality Composerで立体的なプロトタイプを作って友だちに見せていたんです。それでも結局満足いかなかったらしく、最後は紙とハサミで作っていましたが、僕はそれでいいと思っています」。話すのが上手い子は話せばいいし、書くのが得意なら書けばいい。iPadはその子にとっての表現の選択肢を少しだけ広げたのだ、と矢野教諭は考えている。
このような生徒自身の試行錯誤は、1人1台iPadだからこそ実現できたことだという。なぜなら、授業が終わるたびに学校に返却する共有iPadでは、生徒の発想を十分に受け止め切れることはできなかったからだ。
「もちろん、授業中に共有iPadをみんなで囲んで学習する意義も効果もあります。しかし、個人の学びに時間や場所は関係ありません。思いつきをすぐに試したり調べたりできることは大切で、生徒たちには自宅でもほぼ自由に使ってもらっています。ゲームで遊ぶ子もいるでしょうが、最低限のルールさえ守ってもらえればあとは自主性に任せていて、大人になっても学び続けられる力を育てていければと思います」(矢野教諭)
同校では、当初iPadの運用ルールとして、「授業に集中する」「人を傷つけない」の2つを決めていた。しかし、問題が生じるたびに生徒たち自身で考え、議論してルールを追加。今は「iPad活用のルール15」が適用されている。
自宅に持ち帰ったiPadの使い方は各家庭のポリシーに任せるのが基本という。保護者に推奨しているのは「スクリーンタイム」による設定で、使いすぎているアプリなどを確認できる。また、家庭での使い方をそのまま学校に持ち込まないように指導することもあるという。
iPadの使い方よりもっと大切なこと
また、iPadの導入が思考力や表現力の向上などにどうつながるかイメージできないという教師もいるが、これには学校教育における学習に対する認識をアップデートしていく必要がある。今までは先生が知識を与えるという授業が中心だったが、これからは課題を提示するが解き方については生徒自身が考え、表現方法も任せる、という方向にシフトしていくという。
具体的に矢野教諭は、生徒のiPad活用のレベルは3段階あると説明。レベル1は紙プリント配布の手間を減らすなど狭義のデジタル化であり、レベル2はiPadでしかできない使い方を実践、そしてレベル3は協働的な学習から新たな価値を創造し、学び続ける能力を身につけることだ。
つまり、教師はどの課題をどのような切り口で取り上げるかを考え、導入部をいかに工夫してゴールとする部分を伝えていくかに注力すべきということだ。そして生徒は、そのゴールの実現に向けてどう考え、判断し、行動するかということが大切で、iPadはその学びを適切にサポートするための道具に過ぎない。
「当校では他校からの学校視察が多いのですが、よく聞かれるのはiPadやアプリの使い方です。それもいいのですが、結局は使い方よりもマインドセットというか、どんな考えで授業づくりをするかが重要ですし、厳しい言い方をすれば、iPadを活用させられるかどうかはその先生の授業力とも比例していると感じています。例えば、iPadは使ったことがなくても、根っこの部分で生徒を見取る力やヒントの提示や褒め方が上手い先生は、iPad活用のコツをすぐ吸収して自分たちの学校で実践されると思います」(矢野教諭)
そのため矢野教諭は、iPadの活用方法を検討する場合は、まず教師同士でどのような授業をしているかを互いに参観して、意見交流することを推奨している。教師にとって本質的な授業力を上げることで、おのずとiPadは活用できるはずだというのだ。
「世界中でこれだけ多くの人に親しまれているiPadの操作が難しいわけがありません。例えば、学校内で自主的に研修して、その際にGoogleフォームを使ったアンケートやYouTube動画の活用など、どの授業にも役立つところから始めてみるのもよいでしょう」(矢野教諭)
もちろん、電子機器ならではのトラブルや校内ネットワーク環境など教師自らが対応するには手に余る課題は多く存在する。GIGAスクール構想では2022年度までに4校に1校の割合でICT支援員を配置する計画があるが、矢野教諭は個人の見解と断った上で、それでは不十分だと指摘する。
「理想を言えば、ICTに詳しい教員がいる、いないに関わらず、各校に1人ずつ毎日勤務してくださるICT支援員を配置してほしいのです。現状では他の仕事の合間に教師がトラブル対応に追われますし、それが続くとICTに意欲のある先生方も疲弊してしまいます。GIGAスクール構想そのものは良いことだと思いますが、1人1台iPad環境が始まったからにはもはや導入以前の授業に戻ることはできません。私たちが今できることはiPadが生徒の学びの質を高めるという実績を地道に重ねるだけです。それ以外の運用部分をしっかりと支えてくれる仕組みが必要と感じるのはそのためです」(矢野教諭)
1人1台iPadの実現は、GIGAスクール構想のゴールではなくスタート地点だ。環境整備にふさわしい成果を継続的に上げていくためには、各教員の努力も必要だが、保護者や自治体はもちろん、外部のDX人材を含めた社会全体でサポート体制を築く必要があるだろう。
(2020年3月26日公開 インプレス「こどもとIT」掲載記事から転載)